ギャグマンガの最新鋭スタイル・20世紀少年


どれくらい前だったか。浦沢直樹20世紀少年」の連載終了が新聞やネットで話題になっていた。
評判は非常に悪い。どういった終わり方をしたのかに興味があったけれど、読む機会もなかった。


スピリッツを読まなくなって久しい。「ルサンチマン」みたいな退屈な作品が、評判になり出したころからスピリッツに対する興味を失った。新井英樹エピゴーネンが紙面を埋めていく様は、購買意欲を著しく削ぐ。


現役のマンガ読みで、浦沢直樹を評価しない人はいないと思う。というよりも、評価せざるを得ない。それくらい実力がある。私も、とても高く評価しているけれど、浦沢のマンガを読んでいると、ときどきバカにされているような気持ちになる。浦沢は、巧妙に罠を仕掛ける。笑いや驚きを引き起こす装置を周到に設置していく。読み手は、罠にひっかかるまいと気を付けていても、餌食になってしまう。そのあざとさには感嘆するし、不快にもなる。浦沢のマンガは最初の3冊くらいが最も面白い、などと揶揄されるのは、そこに原因があるのだろう。物語が進めば進むほど、手練手管が浮き彫りなっていき、興が醒めていく。


浦沢のマンガ家としての資質を十全に発揮した作品は「MONSTER」だろう。はっはりと言えば、「MONSTER」以前の浦沢と、以後の浦沢は、もはや別の作家になったと言っても差し支えないはずだ。これは、最後までよくまとまっているし、手塚治虫的ともいえる古典的なマンガ技法へ回帰している点も興味深い。この作品の後に(あるいは同時に)描いているのが「20世紀少年」であり、「PLUTO」である。


PLUTO」は本当に面白い。少なくとも3巻までは。「20世紀少年」は、この第1部最終話を抜きにしても、万博という史実と、荒唐無稽なSF要素が混濁しており、物語を描くのに終始した「MONSTER」や、手塚が用意したSF設定を貫いている「PLUTO」と比較すると、マンガとしての強度は落ちる。前述した事実と虚構の断絶性をうまく利用していたのは前半、カンナが成長するまでで、ともだちが世界を支配してからは、設定の荒さが目立つようになり、説得力を失いつつあった。なんとなく読むのをやめたのも、それくらいの時期だったと思う。


そして、ようやく発売された最新刊を読んだが、これはひどい。いわゆる「夢オチ」に近いノリで、いままで積み上げてきた布石はなんだったのかと問いたくなる。私は、夢オチ自体は嫌いではない。覆水が盆に返る瞬間のスピード感や暴力性、そして水が飛び散った後の虚無感には、胸が痛くなる。ただ、この終わり方は、水の入った盆をだらだらと返すような退屈なもので、瞬間は凝縮されずに、伸張されていく。荒唐無稽なウッドストック。もはや、これはギャグマンガである。


ギャグというものは、時代性と密接に関係がある。「マカロニほうれん荘」を今読み返しても、さして面白くないように、ギャグは当時の流行や様式を取り込んで、都合のいい形に加工することで、本来の意味を失わせる。そういった点で、時代性の断片を、幾多も埋め込み、その意味を徹底的にはぎ取っていくことを主張したこの作品は、稀代のギャグマンガなのかもしれない。機能的で、スマートで、時代のトップランナーと評価される浦沢直樹らしいギャグのスタイルだと思う。