ベルギー王立美術館展


上野に画材を買いに行ったついでに、立ち寄ってみた。


先日のプラド美術館展は、充実した内容で何度も見に行ったが、このベルギー王立美術館展は良くなかった。全体的にネームバリユーで誤魔化している様に感じる。特にルーベンスなんかは、プラドで傑作を観ているだけに物足りなかった。


飛び抜けて良かったのが、クノップフシューマンを聴きながら」私としては、これ一枚のために足を運ぶ価値があると思っている。これには感嘆したし、彼の評価は一瞬にして改まった。


世紀末美術、いわゆる象徴派などと呼ばれる人たちには、それほど興味はなかった。音楽の方はシェーンベルクなど、新ウィーン楽派が台頭してきた時期で、彼等の音楽はとても好きなのだけれど、美術の方には、そんなに興味を惹かれなかった。(ロップスは高く評価している)デルヴィルの様な、夢想的な画風があまり好きになれなかった。


クノップフも画集を見る限り、内向的な作風の画家だとずっと思っていた。思いの丈を、徒然なるままに画面に記していくタイプの画家だと。今回来ていた「シューマンを聴きながら」「白、黒、金」「ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像」はその印象を覆した。
 
まず、非凡な構築性、あるいは絵画性を持っている画面は、高い強度を有している。詳述は避けるけれど、計算された色彩の相関、構図への配慮はこの人の理性を感じさせる。決して、気まぐれで筆を進めてはいない。「白、黒、金」はそれが端的な形で提示されていると思う。油彩の方でも、同じテーマの作品が残されているけれど、「白、黒、金」は素描的な性格上、よりシビアに色調のバランスに着目している。構図も納得のいくものに(微妙に)リファインされている。白と黒が自律性を持って、画面の手前・中心・奥を往復するように配置する手立てなどは見事である。これほど、理知的に整理された絵を描く人だとは思っていなかった。それだけに驚きが大きかった。


シューマンを聴きながら」は若描きの作品だが、落ち着きといい、練り上げられた構図といい、逸品であると言っても差し支えないだろう。筆さばきは繊細だけれど、曖昧さと明快さが同居している。椅子に腰掛けている女性の手に焦点があり、そこを中心に曖昧さが広がっていく。シューマンの鬱屈した、複雑な思いを、絵から感じる様だった。


ほかは、マグリットの迷いのない混沌、アンソールの小品の楽しさ、スミッツの内省性が目についた。