カタストロフ的な健全さ、サルバトール・ダリ


なぜか2時間しか眠れない。朝の3時頃に必ず目が覚めるし。せっかく早く起きたということで朝一番で美術館に行ってきた。上野へ。


何の作品が来ているかも確認せずに、ダリ回顧展と大エミルタージュ美術館展をハシゴする。ダリ展の方は、いかにもフジテレビが協賛しているといった風情の会場で、たのしそうだ。作品は、そこそこ揃っていたと思う。


ダリの絵は、派手な色調や奇天烈なモティーフのわりに、地味だ。地味という言い方は適切かはわからないが。少なくとも、そこからエロスや残忍性を感じることはない。むしろ、私は、健全さと孤独を感じる。ダリよりブレイクの方がずっと不健全だと思う。そして、器用でナルシスティックな画家と思われているが、実際はひどく不器用な人間だったのではないだろうか。そうでなければ、晩年にああいった作品は描かないだろう。ダリの最晩年の作品を評価している人は少ないだろうけれど、私は好きだ。


ダリの全盛期は1930年代後半から1940年代初頭のはずだ。この頃の作品は、噴出する閃きに身を委ねたような勢いがあり、非常な説得力を持って受け手に迫ってくる。作品に解説や読解を施す必要なはく、ある種の明快さが画面を支配している。その過剰すぎるまでの明快さは、完結した、いわば閉じた世界を思わせる。密閉状態であり、純度は高い。他者をはじき飛ばしながら屹立する、その強さに人々は魅了されるのだろう。


そんな完璧な、密閉状態の絵画に私は闖入を試みる。しかし、いつもすぐに窒息してしまう。酸素も濃度が高まれば毒となるらしい。


晩年の作品は、密室に亀裂が入る。今回展示されていたもので言えば「戦士」と「ピエタ」がそれにあたるだろう。亀裂は、技巧的問題から生じる。あの自信に満ちた筆致からは想像し得ない、衰えた線描。ただ、私は、亀裂の隙間を通して、ダリの真実を見た気がする。孤独で、不器用で、臆病。そしてどこかに、優しさを感じる。ダリは、シュールレアリスムに最期までつきあった。そんな、廃れ、様式化していく絵画は、ダリを殺そうとする。死の淵からの、諦観を伴った涅槃的な再生。それを「ピエタ」に見る。ダリの作品は、仕上がりの丁寧さが心地良いので、画集だけ見て毛嫌いしている人は、一度実物に接するといいかもしれない。


大エミルタージュ展はひどい。三流作品はどんなに言葉で着飾っても一流にはなれない。エリンハ、ロワベなんてのをありがたがってはいけないと思う。